旧苅田家住宅は現在、第1期工事を実施しています。第1期工事では、主屋の修理と耐震補強が中心です。
現在は、主屋を解体するために必要な素屋根(建物全体を覆う屋根)をかけるため、重要文化財の建造物以外の建物の解体などを行っています(工事についての詳細はまた別の機会に触れます)。
解体する建物の一つに、昭和42年に増築された2階建ての建物(「新棟」と呼んでいます)があります。

新棟の位置(写真下が北)

重要文化財建物配置図(下が北)

新棟(中央2階建ての建物)
新棟のある場所は、昔の家相図などから、江戸時代末期は新棟の南側にある前蔵と西蔵がせり出していた部分であったことがわかっています。弘化4年(1847)の家相図と、明治23年(1890)の家相図を比べると、前蔵が切り縮められた様子がわかります。
詳しくは令和8年8月7日の記事をご覧ください。


弘化4年(1847)の家相図(左)と明治23年(1890)の家相図(右、下が北)
解体に伴い、昔の建物の痕跡の有無を確認するため、基礎を撤去する前に発掘調査を行いました。
調査の結果、新棟の北東部分で、石が並んだ状態で4個確認されました。4個の石はいずれも面を北側に向けた状態で並んでいました。石の大きさは、幅30㎝~70㎝、奥行き30㎝から50㎝、厚さ20㎝程度です。

新棟基礎部分の石列(写真左側のなまこ壁の建物が前蔵、右側に石列がみられる)

石列を上から見た状況(下が北)

石列を北から見た状況
(平らな面が北に揃っている)
これらの石について、家相図から判明している建物の変遷をみると、先述のように、新棟の南側に位置する前蔵は、弘化4年(1847)~明治23年(1890)までの間に建物の北側が切り縮められていることが判明しています。

家相図と平面図の比較
(前蔵が切り縮められる前のラインと石列がほぼ揃っている)
確認された石列以外のものは一切残っていなかったため、詳しいことはわかりませんが、今回みつかった石列は、切り縮められる前の前蔵の北側の基礎である可能性が考えられます。
石列は工事に影響するため、記録を行い、元の位置からは移動させましたが、旧苅田家住宅の建物の変遷を示すものとして貴重な発見といえます。