津山まちじゅう博物館

髙野神社

吉井川のほとりに建つ髙野神社は、美作地方で二番目に高い格式をもつ神社です。 1663年建立の本殿は中山造りの様式を受け継ぎ、随身像や獅子像など多くの文化財が、神社の長い歴史と信仰を伝えています。

津山の西部、吉井川のほとりに建つのが髙野神社です。美作地方では、二番目に高い格式を持つ神社とされています。
社伝によると、髙野神社は534年ごろに創建され、9世紀には、特別な地位を与えられました。14世紀以降、武士の力が強まると、多くの有力な武将たちが社殿の造営に関わり、祭りや神事を支えることで、神社の格式はさらに高まりました。
現在の本殿は1663年に建てられたもので、中山造りの様式を受け継ぎ、入母屋造りの屋根と、ゆるやかな曲線を描く唐破風の玄関が特徴です。屋根には、ヒノキの皮を何層にも重ねた「檜皮葺」が用いられていました。その屋根は、中山神社よりも勾配がきつく、高さもあり、より優美に見せようとした工夫だったとも考えられています。この檜皮葺の屋根は、1929年に銅板葺に取り替えられました。
かつては広い鎮守の森に囲まれていましたが、現在は、数本の大きなケヤキが、その面影を伝えています。

髙野神社へと続く、木が生い茂る石段のふもとに建つのが随身門です。この門は、社伝では1191年に、それまでの門に代わって建てられました。
木造神号額は、かつて随身門に掲げられていたとされる額で、神社に伝わる宝物のひとつです。高さおよそ76センチ、幅は60センチ。枠の左右には、渦を描くような模様が、左右対称に彫られています。中央には、厚さ3ミリの銅板で作られた文字があり、主祭神「髙野大明神」の名と「正一位」の称号が示されています。「正一位」は、神に与えられる位の中で最も高いものです。

この額は、神社の精神的な権威を今に伝える貴重な資料として、国の重要文化財に指定されています。
髙野神社の宝物のひとつが、かつて随身門の両脇に立っていた、一対の随身立像です。二体の像のうち、一方は口を開き、もう一方は口を閉じた姿をしています。これは「ア」と「ウン」を表し、物事の始まりと終わりを象徴しています。すべてはここから始まり、ここで終わる。そんな仏教の世界観を表したもので、聖書に記された「アルファとオメガ」、つまり、すべての始まりと終わりを示す考え方にも重なります。二体はいずれも、冠や衣、履物を身につけ、かつては弓と矢を持ち、神社の境内を守る姿だったと考えられています。

随身立像は、1162年にヒノキで彫られたもので、当初は鮮やかな色で彩られていましたが、現在は、その色の多くが失われています。
像に残された記録から、これらが仏像を彫る職人によって作られ、地元の人々の費用によって奉納されたと伝えられています。

髙野神社には、宝物として、木彫りの獅子像が二対残されています。いずれもヒノキで彫られた獅子の像で、神社や寺院で境内を守る存在です。一本の角を持つ狛犬とは異なり、角がないことが、獅子の像としての特徴です。二体一組の獅子像では、一方が口を開き、もう一方が口を閉じています。これは「ア」と「ウン」を表し、物事の始まりと終わりを象徴しています。大きい方の一対は、高さおよそ70センチで、9世紀のものと考えられています。一方、小さな一対は、高さ30センチほどで、12世紀に作られたとされています。